天職の舞台裏

天職と思って日々仕事をしてますが、その舞台裏で色々考えていること、あるいは水面下でジタバタしてることを書いています。

キャリアについて|そもそもなぜ仕事をするのか

f:id:senri4000:20141102102242j:plain

2005年9月、「仕事が楽しくない」と悩んでコーチングを受けたのでした。この頃は、1年に1度くらいこうした思いにとらわれていたようです。

最初のセッションを受けて書いた記事の抜粋が以下です。

改めて、なぜ仕事をしているのか?

質問について考えているうちに、「そもそも私はなぜ仕事をする(したい、している)のだろう」という疑問が湧いてきた。今まで、「仕事をしない」というオプションを考えたことはない。自分にとって当然で自明のことすぎて、これといった理由が浮かんでこない。一定以上の収入を得ることも理由の一つだろうが、収入が高ければなんでもよいわけでもない。かといって、ボランティア等のように貢献できればそれでよしというわけでもない。自分が社会に対して価値を提供し、それに見合った対価を得るということが重要なようだ。が、なぜそれが重要なのだろう。「価値」って何だ?

究極的には、キャリアをどの方向にもっていくのかを考える上で、上記の疑問への回答は全ての目標やアクションのアンカーになるものだと思うので、じっくり詰めて自分がピンと来るものを出していく必要があると思う。でも、これ以上直接的にこの問題を前にして考えていても出てきそうにない。

キャリアの棚卸しをしてみよう

それでは、周りから攻めるということで、エッセイ風職務経歴書(キャリア棚卸し)。その中でも、「なぜ弁理士なのか」というのがキーポイントになりそうである。「そもそもなぜ弁理士資格を取ったのか」という観点と、「仕事の上で弁理士であることはどんな意味を持つのか」という観点が出てくるのかと思う。

コーチと話していて思ったのは、私は、現在の仕事に満足できない場合、それを直接解決するというよりも、仕事の幅を広げるためになにか勉強したり、資格を取ったりすることを考える傾向があるということ。資格を取るのは目標としてわかりやすいので、どうせ勉強するならその知識が必要なこの資格を取ろうという方向に意識が向くようだ。が、なぜその資格を取るのか、その資格を手段として何を実現したいのかというところを詰めて考えていないので、いざ資格を取ってみると、「資格保持者はこうするものだ」のような考えに囚われやすい。なまじ資格試験に強いのも問題かも。この点についても、職務経歴書を書くにあたって充分考慮しておこう。

キャリアについて - 天職の舞台裏