天職の舞台裏

天職と思って日々仕事をしてますが、その舞台裏で色々考えていること、あるいは水面下でジタバタしてることを書いています。

ワーキングマザーとして|裁量労働でなくなると

裁量労働で、チーム仕事もほとんどない、という特許事務所勤務から、フレックスすらない企業へ転職。色々想定はしていたのですが、予想以上に影響がでました。

こちらが、2013年夏に振り返ったときの文章です。

時間の拘束

現職に転職したのは2008年の3月で、その4月から息子1号が小6、息子2号が小2に進級予定だった。

息子たちが両方小学生になって、物理的な拘束時間が減ってきたことが、ようやく転職に踏み切る踏ん切りになったわけだけれど、それでもやはり各方面に色々影響は出た。

まず、職場が前職より遠くなった。これは2010年夏に社屋の移転があり、元の事務所のすぐ近所に引っ越したため、解消したけれども。

そして、フレックスタイム制のない会社のため、定時である朝9時前に出勤しなければならなくなった。移転前は、私鉄沿線の小さな駅が最寄りで、電車の本数にも限りがあり、子どもたちよりも毎朝早く家を出ることになった。

年に2回ほど回ってくる通学路の「旗当番」も、年に1度の資源回収の当番も時間的に無理になり(どうしても出ようと思えば午前休を取らねばならず、それはそれで有休日数が少ないので辛い)、相変わらず職住近接でフレックス満喫?の夫に全面的にお願いした。

息子1号に頼る

はじめの1年ほどは、毎日とっとと帰宅していたし、割と早期から自宅からも職場に接続できる環境が整備されたので、あまり遅くなることは少なかったが、それでも17:45の定時で18:30の学童終了にはまったく間に合わないので、ここは全面的に息子1号に頼ることになった。

息子1号は、小学校卒業まで学童に一応通っていて、部活が終わってからほんのわずかな時間学童に顔を出していたが、ほとんど6年生の頃は2号を迎えに行っていたようなものだった。そしてそれは1号が小学校を卒業して中学になってからも継続しており、息子2号が小5に上がるに当たって学童を辞めるまで続いた。

息子1号にとっては勝手知ったる学童だったし、おやつももらえて『仕方がないなぁ』程度の感じだったようだが、さすがに兄弟がいなくて低学年児童の一人だけだと回らなかっただろう。

夜の留守番解禁

息子2号が高学年になり、兄弟で留守番も無理なくできるようになると、帰宅時間の融通もわりと利くようになってくる。一応原則として(これは今でも)週日の夜は私か夫のどちらかが当番をするが、二人の予定が重なってしまうときは週に1度程度なら子どもたちだけで留守番というのもOKにした。以前ならどちらかが予定を断念していたので、ずいぶん楽になったものである。

さすがに週に2度以上になるとよろしくないだろうということで歯止めをかけてはいる。そして、一応泊まりの出張で二人ともいない、といった事態は避けている。

保護者活動が減った

学校や学童関係に参加することは激減した。原因の大きなものは、フレックスタイムがなく、もらえる有休の日数が少ない上に一斉消化日が多くて本当に使える日数が少なかったことによる。

授業参観や学級懇談でさえ使うのをためらうほどだったのに、息子1号が中学に入学した年にいきなり選挙でPTAの学級委員になったのには参った。辞退しきれなくて引き受けたけれども案の定ほとんど参加できなくて非常に申し訳ない結果になった(この頃は特に仕事が爆裂に忙しく、正直それどころじゃないという感じだったし)。

中学校にも一応授業参観はあるが、参加率は小学校に比べて非常に低いし、息子2号はもちろん小学生ではあったのだが、こちらも小学校自体に慣れてしまっているので「まあ行かなくてもいいか」という感じがしていたのは否定できない。すまん>2号

もう一つ、保育園の頃は色々活動も活発で参加型でもあったしそれなりに一所懸命やっていたのだが、学童になるとこれが少し毛色が変わり、PTAになれば全く世界が違う。元々女子力が低くてママ友作りとかとても苦手な私としては、そこを頑張る気力があまり湧いてこなくて敬遠気味だった。保育園と初期のPTAで燃え尽きてしまった感もあった気がする。

もうこの頃は、必要最低限のラインしかしていなくて、可能な限り夫にお願いしていたし、接触もあまりしないようにしていた(消耗するので)。

息子2号は小1の頃からサッカースクールに行きだしてそのまま小4からクラブチームに所属しており、土日は試合やら練習やらに費やす日々が継続している。低学年の頃はスクールもお迎えに行ったり、試合は今でも遠方が多くて送迎が必要だったりするが、そこの接触もほとんど夫任せである(根本的に話が合わないんだもの・・・)。

さすがに息子1号が中3になってからは、進路面談とかが始まったため、有休取得して中学校には行くようになったし、息子2号の卒業前の最後の授業参観とか卒業式とかは無事参加した(謝恩会はパスしたが)。このあたりも、自分にとって無理のない形で、でも子どもたちの成長に支障がない程度のかかわり方を見つける必要があるのだろう。多数派の皆さんと同じかかわり方をしようと思うと相当無理が出るので(リソース的に・精神的に)。

中高生になって

そして現在、基本的に彼らは自分たちでなんとかするようになっていて、夏休みも自宅で満喫しているわけだが、残念ながら自律力はそこまで高くないので、それなりに接触は頻繁に、声かけもそれなりに、気になることは早めに話をするように心がけている。

但し、自分のことは自分の責任というのは一貫していて、忘れて行動しなかったり、準備不足で間に合わなかったり、といった結果の不利益は自分で引き受けることになっている。結構これって見ている方は我慢がいるけど、そうしないと成長はしてこないし、第一こちらの生活が回らない。

ずいぶん楽になった日常生活だけれども、欲を言えばもう少し生活力がアップして、全面お任せの日が作れるようになってくるといいんだけどね。やっぱり出張で数日家を空けると荒れます。