天職の舞台裏

天職と思って日々仕事をしてますが、その舞台裏で色々考えていること、あるいは水面下でジタバタしてることを書いています。

記録の力

タスク管理と記録のツール

平日、仕事中のタスク管理と記録は、ExcelベースのTaskChuteで行っています。

一方、それ以外の時間帯は、iPhoneアプリの「たすくま」に担当してもらっています。

Taskuma --TaskChute for iPhone

Taskuma --TaskChute for iPhone

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  • 仕事効率化
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2つのツールの使い分け

「たすくま」が今年の夏に出る前は、TaskChuteを常時使おうと試みたり、会社と家で別のファイルにしてみたり、色々試行錯誤と挫折の歴史がありました。

「たすくま」が出た当初、iPhoneは常に(会社だって)持ち歩いているのだから、これなら全部「たすくま」でできるんじゃ?と思ったのですが、仕事中にちまちまとiPhoneを触っていると、不審な人ですし、デスクワークが中心の私の仕事では、Excelベースの方が扱いやすいということで、現在の形に落ち着いています。

佐々木正悟さんのいうところの、額縁問題で、縁の部分をたすくまが担当している格好ですね。

TaskChuteでワークログを残し、たすくまでライフログを取る | シゴタノ!

振り返り

上記の「シゴタノ!」の記事では、額縁の中(水色の時間)は、ワークログを残して分析し、成果につなげる。一方、額縁の縁(オレンジの時間)は、ライフログを残してよりよい思い出を、という趣旨のことが述べられています。

私自身は、どちらも使ってログを取って翌日に見ているものの、「分析」にはほど遠い状態です。ほぼ、見ているだけ。

それでも、見ないより見た方がずっとマシだと言えます。翌日になると、1日前のことなんてきれいさっぱり忘れていますので、改めて記録を眺めて、

ああそういえばそうだった

と思う、というのが大切なのだと。これによって、意識的に行動しなくても、それこそ「測るだけダイエット」のように、その後の行動になんらかの影響が出てきます。それが、積み重ねると有意な差になる。

これって、記録をつけてみないと見えてこないとても微妙な差なんですよね。以前、記録をつけることの負荷に対して効果が見えない、といった趣旨のことを自分でも思って書いています。当時はそう思っていたんだな、と今振り返ると思います。

ログを取ることの費用対効果 - 知財渉外にて

写真の記録力は凄い

とはいえ、分析しない、という怠惰な振り返り方だと、ただの開始・終了時間だけのログでは、行動に影響するほどの効果が得られません。そこで、記録の際に、後から振り返って記憶を喚起するトリガーを埋め込んでおくのが有用です。

それが、行動直後のコメントだったり、行動中の写真だったりします。

ExcelベースのTaskChuteでは、写真を添付するのは難しいですが、終了時刻を入力すると、そのタスクの評価とコメントを入力するように求められますので、できるだけ、ここで手間を惜しまずに、後から振り返って「!!」と思えるようなコメントを残しておく。こうすることで、見たときに、にまにましたり、ああそうこれしなくちゃ、とアクションにつなげたりすることができます。

iPhone上で動くたすくまは、もうタスク実行中にその場でカメラを起動して写真を撮ってログとして保存してくれるので、なにしろ手間いらず。ガンガン写真を撮って保存してしまうのが吉です。

たとえば、アイロンという家事タスクをしているときに、メモとして「シャツを2枚かけました」と入力するより、アイロンした結果のシャツの写真を撮ってしまった方がずっと情報量が多く、それでいて読み取る時間は短くて済みます。

これに気がついてから、ひたすら写真でログを取るように心がけるようになりました。料理はいうに及ばず、見ていて特に楽しい写真でもない、ゴミを出したときの写真とか、出勤途上の風景とか(特に定点観測でもありません)。

特に、食事の前に写真を撮るのは意識してするようにしていますが、先日、夫に、

それって、なんのために撮るの?

もっと栄養の高い食事を取るようにしよう、とか考えるため?

と問われました。上に書いたように、そこまで分析しているわけではなくて、単に振り返ったときに記憶を刺激するだけなんですが、これは、本当に、納得してもらうのが難しい。無駄なことをしているように見えるようです。「良質の思い出を作る」とも違いますしね。

と、周囲に不思議をばらまきつつ、今日もたすくまをお供にライフログに精を出すのでした。