天職の舞台裏

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

天職の舞台裏

天職と思って日々仕事をしてますが、その舞台裏で色々考えていること、あるいは水面下でジタバタしてることを書いています。

行動の認識とタスク管理

最近すっかり家事の友になっている「のきばトーク」です。本日は、アイロンをかけながら、公開された直後に聞き損なっていたのきばトーク39を聞いていました。

のきばトーク39

1時間ほどのトークの終わりがけ(57分以降)に出てくる佐々木さんの以下のような趣旨の発言に、思わずアイロンを置いて机に行き(同じ部屋の中なので1mほどですが)、メモを取ってしまいました。

タスク管理というのは認識と価値観の反映なんですね。

行動は切れ目がないのだけれど、どこかで区切って名前をつけているに過ぎない。

タスクシュートが細かすぎると言われることがよくあるけれども、細かすぎるタスクリストができるということは、その人の行動に対する認識が細かくなっているから、そういうタスクリストができるということなのでは。

切れ目なく続いて行く行動のどこで区切りを入れて、その行動にどのような名前をつけるのか。つけられた名前がタスクを示し、その名付けに沿って行動するのがタスク管理、ということになりましょうか。

このように考えてみると、仕事を進めるときにはタスクを分解せずに大きな塊でやりたいという自分の志向が納得できるように思います。

前に進めるためにタスクを分解することが有効とよく言われ、自分でも何度も試してみたけれど、どうしてもしっくりこなくて止めたということを何度か書いていますが、それはきっと自分の中での認識が、分解したものの足し算ではこぼれ落ちるものがあり、そしてそれは着手してみるまで何かがわからないので実際に手を動かして確かめたい、という価値観/認識なのだろうと思います。

また、別の話になりますが、たすくまで1日のタスクを並べていくときに、タスクの名称はそれを見てそのときの自分が着手しやすい具体的な名前にしたいのですが、行動記録の分析という点からは、ある程度のまとまりになっていて欲しいという相反する要望があります。特に、リピートタスクの分析機能が簡単で気に入っているので、全てのタスクはリピートタスクにしたい。

このために、リピートタスクは少し総括的なものにして、具体的なタスク名をリピートタスクの名称よりも粒度を落としたものにする、という運用に落ち着いています。リピートタスクをそのまま名称に採用できないことが増えるので手間がかかるのですが、それでもその方がしっくりくる。これも、認識や価値観を反映しているということなのでしょう。

色々深いな、タスク管理。