天職の舞台裏

天職と思って日々仕事をしてますが、その舞台裏で色々考えていること、あるいは水面下でジタバタしてることを書いています。

オープンクエスチョンが苦手

気づきを得るための質問、話を引き出すための質問というのがあります。他者に質問するだけでなく、自分を振り返るためにも自問することがあると思います。抽象度が高めで質問自体に解釈の幅があり、正解があるわけではなく、色々な答えが許容されるものが多いでしょう。

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そして、私はこの手の質問が大の苦手です。自問して一日を振り返る手法を試したことも何度かあるのですが、続きませんでした。セミナーなどのワークでこうした質問に答えるものがあると、正直なところ、まどろっこしいと感じますし、全体像が見えないので居心地が悪く感じます(手のひらで踊らされている感というか)。

ディスカッションのための質問

先日、会社でディスカッションのための事例を提供するという仕事がありました。色々な意見を引き出すために、事例には質問がついています。例えば、こんなもの。

Aさんは本日中に提出しなくてはならない発注書を抱え、困っていました。上司の承認印が必要なのですが、上司はずっと不在です。ふと上司の机を見ると、印鑑が置いたまま。そこでAさんは、無断で上司の印鑑を押印し、発注書を提出しました。

Q: Aさんはなぜ、上司の印鑑を勝手に押印したのでしょう?

提供する前に、ちゃんとディスカッションが進行するかしら?ということで、事務局内で実際にやってみたのですが、どうにも気持ち悪くて(苦笑)。こんなのでちゃんと回答が出て話が弾むのかしら?と半信半疑だったんですね(私自身はあまり発言すると力関係で出る発言も引っ込むので静観してましたが、事務局内では、作成している人が半数ということもあって、そこまで活発にはなりませんでした)。

ところがどうして、実際にこれを使ってディスカッションを進めてみたら、けっこう色々な人が発言してくれて、ちゃんと用意された事例に相応しい回答も出てくるし、そうでなくて自社の事情にひっぱられるような面白い?回答も出てくるし、有意義なものになりました。質問の力が引き出したもの、なのでしょう。きっと。私にはできないけど(汗)。

自動システムには自問が要らない?

本日のコーチングセッションで、4月~6月は昨年度取り組んできたことの総仕上げとリモートチームの立ち上げの両方が重なる山場になるという話になり、では、その間は、その他のことは先送りする・人に任せる必要がありますよね、という流れになりました。

ふむふむ。確かにそうですね。

そのあたりはやりながら見えてくると思うので、自問の質問によって、「今の状況だと要らないなぁ」とか、「これはお任せすれば良さそうだ」とか、「これは先送りした方がよさそうだ」というふうにしていけるといいですよね。

んー、そうです、ね?

どんな自問をしていきますか?

???どんな自問、ですか?

そう。よくあるのは、朝の質問とか、夜の振り返りの質問とか。例えば、「ん?」と思うようなことが起きたときに、「これは自分にとってどういう意味があるんだろう?」と問いかけるとか。毎朝や一週間の振り返りの時に問いかけるとか。

 

ブログとかで振り返っているときに自分にどういう質問をするか。特にこの山場の時は、普段よりもこの時期に必要な質問があるはずなので。振り返りと自分の方向性を決める質問ですね。

実はこう言われたときになぜそこで質問が必要になってくるのか本当にさっぱり分からなかったのですが、この手の「質問に答えることで振り返る手法」が苦手で、やってみたけどうまく行かなかったこと、その結果今の日記はExcelで一週間分の表形式になっていること、その中では4つの価値観の項目に沿って書いていることを説明したところ、

あ、それは質問立ててやらなくていいですね。表形式でできる人は表形式でいいです。それは非常にスチール的ですね。構造があってそこに書く、という。その表の中に質問が埋められている状態になっているので不要ということだと思います。

なるほど。

ここで押えておきたいのは、自分には質問は要らない、なぜならストラクチャーに入れることによってすっきりするから。それで出せるから。ただ、そういう人は少数派で、ほとんどの人は質問が必要だ、ということを知っておくことですね。

という話の流れになり、スキルとしての質問力になりました。お勧めされたのは、マツダミヒロさんの著書で、ビジネスでは「しつもん仕事術」、そして集大成本だと言われているらしい現在予約受付中の「質問は人生を変える」。前者をさらっと読んでみましたが、スキルという観点で押えておくと、確かに役に立ちそうです。

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セッションの音声を後から聞き返していて思ったのですが、私としては、4月~6月が2つのことが重なる山場であることが意識できてさえいれば、他のことは自動的に適切に先送り・委譲・取りやめになっていくはずで、そこに改めて自覚的な問いが必要という考えが及ばなかったんですね。それで自問?質問?なんで?となったようです。よくよく考えてみると、立ち止まって問いを立てないと、うっかり以前のように他の仕事も抱えてやってしまう、ということなのかな、と思いました。

なるほど。自分の特性に自覚的になるって難しいわ。。発見でした。