天職の舞台裏

天職と思って日々仕事をしてますが、その舞台裏で色々考えていること、あるいは水面下でジタバタしてることを書いています。

価値観の再定義

3月・4月と考え続けていた価値観(私にとって大切なこと)の再定義。1周回って元に戻った感がありますが、現時点の整理として書き付けておこうと思います。

まず、年頭所感や週のまとめ・月のまとめ記事に書いているように、「私にとって大切なこと」である価値観は、1.プロフェッショナルたること、2. 心身の健康、3. 快適な生活、4. 家族のQOL の4つの要素で構成されています。

とはいえ、このそれぞれが何を意味しているのかは、あまりはっきり書いたことがないようです。これらに沿って、その年はどういう風に過ごそうかを年頭に書き、それに沿ってどう過ごしたかを日記・週のまとめ・月のまとめ・年のまとめに書き続けています。

1.プロフェッショナルたること

専門性が必要か?

3月のまとめに書いたように、「プロフェッショナルたること」というのは、職業人としての自分のコア領域について、高い倫理とアウトプットを保つこと、その分野におけるプロであることに矜恃を持つこと、と定義してきました。

では、職業人としての自分のコアは何なのか。価値観を4つに整理をした2014年当時、コアの部分は3つの柱で構成されている、としていました。

この頃のEvernoteの価値観ノートには、以下のように書いています。

それぞれの環について、高い倫理とアウトプットを保つ。

加えて、環の重なるところについては、殊に付加価値を高める。

知財業界全体、社会全体に対して自分の足場堅く貢献する。

要するに、自分のコア領域は、上記の3つの環からなる知財職であり、自分はそこに専門性を持ったプロフェッショナルであると考えていたのだと思います。このため、最近の劇的な職域の広がりに、果たして現在の自分の仕事のやり方やポジションはコア領域(≒専門性)のある「プロフェッショナル」なのか?と座りの悪さを覚えたのかな、と。

「自分の仕事」をする(inspired by R-style)

いわゆる専門職でなくても、誰もが「自分の仕事」をしていると思います。上記の整理をした当時の私は、「自分の仕事」を3つの輪からなる知財職だと認識していたということになりましょう。

現在の私の「自分の仕事」は、上記の知財職のようには綺麗に外延を定めて定義するのが難しく、線引きの最中であり、その線引きも非常に暫定的です(まだあまり固定したくない)。でも、「自分の仕事」ではあるのです。

そこで、「プロフェッショナルたること」から、コア領域とか専門性とかの縛りを取り払います。「プロフェッショナルたること」は、「自分の仕事」を定め、それについてプロであることに矜恃を持つこと、そこに高い倫理とアウトプットを保つこと、すなわちスタンダードを高く持つこと、であると定義しようと思います。

「プロフェッショナル」の語を変更する必要があるかと思って、しっくりくる言葉を探していたのですが、定義の方を変更することにして落ち着きました。1周回ったというのはそういう意味です。

2. 心身の健康(心身が健康で強靱であること)

この項目については、4つの要素として立てた当初から特に変わっていないと思いますので、2014年当時の表現をそのまま載せておきます。

全ての活動の土台として。正しく適切に考え、判断し、行動するための前提として。覚悟をもつための器として。前を向いて生きるために。しなやかで強くありたい。

仕事でない自分に関することは、すべてここに入ってきます。すべてのことは、自分の身体や心が健康で健全で快適であり、支障なく行動ができる状況を形作るためのものであるという位置づけです。「実行資源管理」「兵站管理」の重要な柱です。

2018年現在、この項目のサブ項目としては、タスク管理、体調管理&ダイエット、インプット、音楽(・美術)が入っています。

長年、下手の横好き趣味で続けているオーケストラ活動が、自分の価値観のどこに入ってくるのか疑問だったのですが、現在ではオケ活動を含めて「音楽は、私の心の健康を保つ」と整理されています(その限度でしかリソースつっこまずガチにやらないので、いつまでたっても上達には程遠いのですが)。

インプットが心身の健康のサブ項目に位置するのは、ストレングス・ファインダーの上位5つに収集心(4位)と学習欲(1位)がセットであるからで、インプットが足らないとメンタル健康に支障が出ます。逆に暴走すると身体の方がやられますので、うまく手綱を取って行く必要もあります。

3. 快適な生活

自分自身の資源管理が「2.心身の健康」ですが、こちらは自分を囲む環境の「実行資源管理」「兵站管理」になります。活動の土台であり行動するための前提であるところは同じです。荒れた家では落ち着いて生活できず、心身の健康にも影響が出ます。

とはいえ、最も後回しにされがちなのがこの項目で、苦手にもしています。元々タスク管理をしっかりやろうと思い立ったのも、リアルなモノの整理がどうしようもない状態だったからというのも大きいです(捜し物が出てこなくてよく時間を無駄にしていた)。

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情報の流れがおおよそ整うようになり、モノのお世話に重点が移って久しいのですが、まだ、これについては決め手に欠けている感じですね。スケジュールに入れるとか、集中して祭りのように片づけるとか、ともかくも家にいる時間を増やすとか、とにかくモノを減らすとか、色々試し(続け)ています。

4. 家族のQOL

「私にとって大切なこと」の要素として「家族」が入ってくるのは疑問の余地がなかったのですが、それが「家族とともに過ごせる時間」なのか何なのかについては、かなり長い期間をかけて考え続けていました。なかなかピンとくる用語を思いつかなかったのです。単純に共にいるだけでは満足できないのだけれど、家族にこうなってほしいという期待があってそれを達成したい、というわけでもない。

子育て期はほぼ終わりに近づいていて、子どもたちに望んだこと(生活能力をつけること、論理的に考えること、想像力を持つこと、説明して理解を得るようにすること)は概ね期待レベルには達していて満足していますが、でも日々の暮らしは流れていくので、その中で満たしたいことは何か?

という中で、下りてきたのが「Quality of Life」でした。共にいるだけではなくて、自ら動いて家族のQOLを確保すること。家族の活動の土台や前提となる環境の整備、教育。なにより真摯に向き合うこと。

この中には、夫や子どもたちとの関わり、両親との関わりがもちろん含まれますが、大きなものとして、「食」があります。家族のQOLを支える「食」ですね。健康の土台となります。

また、環境の整備の一環として、ライフプランニング、お金周りというのもここに入ります(これも後回しにしがちで奮闘中)。

そしてミッションステートメント?

最近、ツイッターのタイムラインでミッションステートメントに関するツイートが流れてきたり、うさぼうさんのミッションステートメント記事を読んだりして改めて思ったのですが、私って、よくあるミッションステートメントの書きぶり(「私は、○○する」のような宣言系)が苦手なようです。なんでかな?

そして、うさぼうさんの上記記事にも引用されているjMatsuzakiさんのミッションステートメント作成のための記事はよくできていると思うのですが、いかんせん、私自身はオープンクエスチョンが苦手な上に、自分のお葬式に全く興味がありません(爆)。いつもこのあたりで止まってしまうんですよね。

jmatsuzaki.com

まあ、ミッションステートメントは、jさんも書かれているように、日常生活を送る上での判断基準になるものとして持っておくのが重要ということで、この形でなければならないわけではありません。

そういう意味では、私にとっては、ここで書いている価値観=私にとって大切なことが、ミッションステートメントということになるかと思います。むりに自分の苦手な宣言の形をとらなくても、判断に迷うことがなければよし、ということですね。