大学卒業後、メーカーに入社してから9年後に退職するまでが、キャリア第一期。初職です。
そもそも、大学は語学系で、英語を使えそうな会社として選んだメーカーに、なぜかそれまで全く聞いたことがなかった部門に配属されてしまったのが私の職業人生の開始でした。9年あるこの時代は、前半と後半に分けることができます。
以下が、当時を振り返って2005年9月に書いたエントリ。初職前半について。
就職、そして配属
1987年4月、メーカーに入社、同年6月に特許部門(技術法務担当)に配属。1996年5月にカナダ出向中の夫に合流するために退職するまでの9年間が私のキャリア第一期である。
当初与えられた業務は以下の2つ。
A.締結済の特許ライセンス契約に基づく実施料(ロイヤルティ)の集計・報告・支払
B.海外との特許係争事件関連の英文通信
技術法務、という仕事
技術法務の業務範囲の概要はこんなところだったと思う。
(1)知財(という言葉は配属当初はまだ存在していなかったが)のライセンス契約作成・審査・実施
(2)海外子会社との技術援助契約の管理
(3)知財の係争事件の窓口
(4)技術や知財を含む各種契約の作成・審査
係争事件は増加傾向にあり、それに伴って係争事件の行き着く先としてのライセンス契約案件も増加傾向にあった。問題が顕在化する割合が増えるにつれ、知財を正面から取り扱う契約以外の契約についても関与した方がいいのではないかという気運が高まりつつあった。
私に振られた業務は、業務Aが(1)の「実施」、業務Bが(3)の補助ということになる。
実施料(ロイヤルティ)の集計・報告・支払
業務Aは、複数の部門から複数の製品の生産数量と価格が報告され、複数存在する各契約に従って、製品あたりの使用料を計算し、「この期間に販売された製品は、これだけで、使用料はこの通りです」という報告書を作成し、その金額を送金手配するものであった。
ルーティンワークではあるが、会社のシステムとしてはイレギュラーなものであるため、多分に手作業が多く、重複する作業も多く、ひたすら電卓を叩く時間も長く、一通り引き継いだ時には既に退屈になっていた。そこで、これは効率が悪すぎると思い、自動化できるところを自動化し、紙でなく電子データでもらえるように部門間の業務の流れを考え、ワープロや計算機でマクロを組んだりした。
このように、業務システムの改善を目指して考案し、実際設計したりして実施するのは楽しかった。以前と比べてミスが少なく、作業量が少なくすむ業務になるという目的が達成されるのは非常に嬉しい。が、その効率的になったシステムで自分が作業したいかというとそれはまた別の話で、自分でやっているとさらに効率的なシステムをバージョンアップというより1から作りたくなってしまうので、人に任せた方がよいようだった。数年かけて、この作業は部門から追い出すことになる。
英文通信|お手伝いから担当へ
業務Bは、(a)直属の上司が窓口になっている場合の英文レターの原稿作成と、(b)侵害・非侵害を調査・鑑定する隣のグループで、外部鑑定を求めるため等で海外の弁護士に書くレターの翻訳に二分されていた。
(a)は業務範囲のうちで、いずれは上司でなく自分が窓口になることも含め、書くべき点のポイント指示から原稿を起こすという作業である。一方、(b)の方は、隣のグループの担当者が単に英語が不得手なので英語ができる人にお手伝いを頼んでいるというものであり、内容についてはざっと説明があるものの、その件をずっと追いかけているわけでもなく、日本語の原稿がある翻訳に過ぎなかった。
勢い、担当する業務量が増えるに従って、(b)については「済みませんが忙しいので」とお断りすることが増え、そのうち誰も頼んでこなくなった。この(b)の業務を通じて、自分は英語自体を仕事にするのは好きではないということが明らかになった。翻訳者や通訳者にはなれそうにない。言葉よりも中身の方に関心があるためだ。
契約のデータベース化にチャレンジ
当初業務は、以上の業務Aと業務Bだったが、技術法務の業務範囲の関係で、係内には契約書が山ほどあった。事件別、契約の種類別にファイルされてキャビネットに収納されていたが、過去にどんな案件があったかなどという情報は、担当者(主には上司)の頭の中にしかないという状態だった。
これからどんどん増えていくだろうから、それはちょっとまずいんではないか、と思い立ち、上司に提案して、ファイルの存在する契約のデータベースを作ることにした。まだデータベースソフトや表計算ソフトがあまりない頃で、できあがるたびにソフトがなくなったりして、なんどもコンバートする結果となった。おかげでデータベースに関する基本的な考え方は身に付いたような気がする。
業務Aの標準化作業と相まって、私のITスキルの基礎、関心の高さはこの時代に形成された。