初職の後半です。
担当業務の拡張
当初振られた以下の2つの業務からどう発展していったか。
A.締結済の特許ライセンス契約に基づく実施料(ロイヤルティ)の集計・報告・支払
B.海外との特許係争事件関連の英文通信
(技術法務の担当業務範囲)
(1)知財のライセンス契約作成・審査・実施
(2)海外子会社との技術援助契約の管理
(3)知財の係争事件の窓口
(4)技術や知財を含む各種契約の作成・審査
ライセンス契約、そして子会社管理
業務Aは、契約に従った実施の業務なので、疑問点が出てくれば、当然契約書に帰ることになる。契約書に書いてあることがよくわからないので、もっと知識を広げたいと思い、部門内にある書籍を読んだり、新人が恒例で行く契約研修に行ったりした。そして、少しずつ、(1)の契約作成・審査も担当するようになり、その延長で(2)も担当する。
(2)の対象となる海外子会社は、まだ立ち上がって数年のところも多く、日本の本社を経由せずに海外で直接販売するために、下請け扱いにできず、技術援助契約やサブライセンス契約を結んでいた。これらは交渉すべき相手が身内なので、その点では気楽なものだったが、管理項目としてはわりあい煩雑で作業量が多かった。そして、海外生産の比率は増加する一方で、日本の空洞化傾向が進むため、いかにして本社にお金を落とすか(子会社に投資した分を回収するか)が大きな課題となっていく。
契約本体を担当するために法学部へ
さて、(1)から(2)へ担当業務を広げていたが、なかなか(4)を担当することがない。(4)の担当は、法学部卒の2年先輩と1年後輩がやっていた。そこで、「どうも法律的素養が足らないようだ」と思って大学の通信教育で法学部を受講したりした(3年かけて法学士取得)。
実際に法学部を出ていないから担当させてもらえなかったのかどうかは不明だが、自分としては、他の部門が窓口になっている契約案件に口を出せるほど法律の知識や法務担当としての常識に自信がもてなかったので、やっぱり法学部を出た方がいいかと思いこんだような気がする。
また、ただの独学や研修だけにとどまらず、法学部の卒業を目指したのは、どうせ勉強するなら明確なゴールがあった方がやりやすいと思ったからである。ちなみに「勉強するなら明確なゴールがあった方が」という傾向はかなり強く、それが下で述べる弁理士資格の取得の場合にも大きな理由となっていると思う。
卒業の直接的な効果というよりは経験量の積み重ねのような気がするが、いずれにしても、数年して(4)も担当するようになった。
係争の本体は、当然ながら特許
業務Bでは、係争事件の対象として、なんらかの知的財産(多くの場合は特許権)が存在する。この権利と自社の製品との関係をどう捉えるかが係争に発展しているわけだ。となると、業務Bをやるからには、知的財産制度についての理解が不可欠である。
もちろん特許部門であるから、そのあたりに特許公報はごまんと散らかっているし、日々出願がなされ、発明の抽出やらアイデア提案やら、他社特許の調査やらが日常業務として行なわれているわけだが、なにしろ隣のグループでやられていることで、あまり内容を把握できていなかった。
その気になって聞けば教えてくれただろうし、理解できたと思うが、そこまでしなかった。係争対象の特許公報やら、ライセンス契約の対象特許の公報やら読んでみたが、正直さっぱり分からない。
なにしろ私は筋金入りの?文系で、共通一次試験以来数学や理科と縁が切れて非常に喜んだ口なのだ。何の因果でこんな仕事になったんだかとぼやきつつ、とりあえず、法制度の方をしっかり理解する方が早道かと思い始める。
また、部門内で発明の権利化、特許調査などのいわゆる特許実務をやっている担当者は、皆技術者(かつ男性ばかり)であり、「文系の女の子にはできないだろう」という空気があった。さらに、当時の特許部は、弁理士受験生の数も多く、合格者も何人も輩出しており、受験を奨励まではしないけれども容認する雰囲気があった。
弁理士試験を受験
ということで、(i)知的財産制度を体系的に理解するため、そして、「勉強するなら明確なゴールがあった方が」やり甲斐があるし、(ii)特許実務を経験するためのハードルを下げる(資格という箔をつければ、上司や周りは反対しにくいだろう)効果もありそうだ、ということで、弁理士受験を決意する。
今から思うと、別に弁理士でなくて弁護士でも良さそうだが、当時は自分の仕事の幅を広げることしか考えていなかったので、弁護士っていうのは世界が違いすぎてあまり想像がつかなかったものと思われる(会社を辞める気はなかったし)。
ゴールが決まるとエネルギーが湧くため、受験時代は、仕事はまあそこそこに、前年合格した同僚にいろいろノウハウを教えてもらい、受験勉強に邁進した。
で、本格的に合格を目指した1994年に思いがけず合格、即時登録して、弁理士会の研修に行くとともに、当初の思惑通り「弁理士になったからには実務経験を積みたい」と主張して、当初は技術法務と掛け持ちで、半年後には課を異動して、特許実務をすることになる。
当時の業務状況
振り返ってみると、弁理士受験当時は、体系的に制度を理解したい、特許実務に裏付けされたライセンス担当になりたい、という希望が強く、反面、技術法務での担当業務には飽きてきていたように思う。
(3)の係争事件窓口は、あいかわらず上司の補助ではあったが、調査をしたり、方針を考えたりすることもあり、徐々に担当らしくはなっていた。(4)の担当も増えては来ていた。だが、もう一つ段階を上に進める(上司の仕事を主担当として行なう)ための決め手に欠ける感じだった。
(2)の子会社管理については、ほとんどが経営・事業事項で、法務の観点から考えれることは少なかったため、打つ手を考えつかない状態だった。反省としては、もっと経営的視点を学ぶとか、事業部門で色々人から話を聞いて考えるとかすればよかったのだろうが、当時の私にはそういう発想が全くなかった。テーマに興味が湧かなかったらしい。
特許実務を始めてみたが
当時のB社での特許実務は、主にこんな感じだったと思う。
(1)発明の抽出のための会議などへの参加
(2)アイデア提案書の審査(出願するか否か)
(3)出願案件の特許明細書作成・出願処理(内作又は特許事務所に依頼)
(4)拒絶理由通知への応答
(5)外国出願
(6)自社製品の特許調査
(7)競合他社の特許調査
(8)係争案件対応
弁理士になってから後の実務経験として、私は(3)の内作(自社の特許担当者がで明細書を作る)を主に担当し、数ヶ月たってから(4)を始めたところで退職した。
特許担当者としては、おそらく(3)→(4)→(5)→(6)→(2)→(1)→(7)→(8)のような感じで経験を積んでいく。大抵は担当の製品・事業部門を持ってしばらくそこで経験を積むので、一通り経験するには10年程度かかると思われる。
私も一通り経験したかったのだが、特許実務見習いを1年した頃に夫に海外転勤が持ち上がり、そこまで待っていたのではずっと夫と別居になってしまうこと、海外経験も捨てがたいと思ったこと、この機会になかなか踏み切れなかった出産ができるのではないかと思ったことにより、要はワークライフバランスを重視してキャリアの中断を選んだ格好である。