その昔、子どもたちが保育園児・小学生だった頃は、物理的に手がかかったこと、彼らの睡眠時間を確保するために夜9時にはすべてを終わらせる必要があったこと、子どもたちそれぞれと「ながら」じゃなくて正面から向き合う時間をできるだけとりたかったこと、などから、家事にかける時間はできるだけ短くしたく、効率化を追求していました。食洗機や衣類乾燥機の導入に始まって、家事代行サービスをお願いしていた時期もありました。
一方で、子どもたちには、1人で生活できるレベルの家事スキルを身につけさせることが必須と考えていましたので、幼児のころから一緒に台所に立ち、包丁を持たせたり火を使わせたりしてきましたし、掃除や洗濯の係を決めてポイント制にし、お小遣いを連動することもしてきました(これには賛否両論あると思いますが、主にインセンティブの側面と、お金の管理を自分でできるスキルを身につけさせる効果狙いの両方がありました)。
そういえば、この頃の息子2号の弁に、「こんなに家事をしている小学生はいないと思う」というのがありました。夏休みの宿題にお手伝いや自分の上履きを洗うなどが出てくる状態でしたから無理もないと思ったものです(どちらも我が家では当然毎回やっていることでした)。
小学生から中学生になる頃には、睡眠時間の確保は幼児期と比べて必須性が緩くなりましたし、家事スキルも一通りはついてきて、実行する中での悩みは、子供たちが個人のやりたいことを優先したり面倒感が先になったりするために、分担になっている家事が遂行されなかったり、そのせいで兄弟で不公平感が出たりすることに移りました。ポイント制を厳しめに運用したりもしてみましたが、普段の生活でそこまでお金を使わないため、効果のほどはさほどでもないといったところでした。
そして今、大学生と高校生の息子たちは、その気になれば自分たちで食事のメニューを考えて作ることもできるし、家事も一通りは問題なくできるようになりました(下の写真は、息子2号が洋食屋の動画を見て作ったオムレツです)。おそらく一人暮らしになってもスキル的に困ることはないでしょう。あとは、その気になるかどうか、自律的にコントロールして回していけるかどうかというところで、これは別の問題ですね。
子どもたちはまだ数年は同居が続きそうですが、家事についてみれば、教育的側面から分担を考えるステージは過ぎ、同居人としてどうシェアするかという観点が必要になってきたと言えます。
一方で、私自身についてみれば、家事は割と好きで、特に疲れたときなどに料理をすれば精神がリセットされてスッキリする効果があることがここ数年の記録ではっきり分かるようになりました。疲れたから晩御飯作らずに外食するとか適当に買い食いするなどを長年続けてきたのは全く対処法として間違っていたということですね。残念な。
しばらく前に読んだ「逃げ恥」原作9巻には、みくりが外で働き始め、家事が平匡との間で分担制になり、それについて話し合う場面が出てきます。分担だと思うから期待レベルに達していないと不満を持つので、そうではなくて、シェアハウス方式で好意と感謝で家事を回していきませんかという提案がされて採用されています。
確かに、報酬をもらう仕事としてでなく、家事の分担を貫くのって中々難しい(報酬としてお小遣いを用意したとしても、それを放棄すれば家族内で強制する術はなく、難しいのですけどね)。みんながスキルを持っているのであれば、好意と感謝で回すのは中々良さそうなのですが、これって、気にならない人は放置するし、気になる人に負担が増える傾向になりがちで、強制でなく分担を依頼したり引き受けたりというのがうまく回るといいのになぁなどと思っている昨今です。
要するに、現状は家は荒れがちで、私が家事をしている割合が増えているのですが、その気になればできるし、予告なく帰れなくてもそれなりに回ってはいるので、まあいいか、となっています。彼らの自室は自分たちで考えて整理や掃除もしているようなので、それがもう少し共有部分に発想が回るとよいのかも。しかし、そもそも自室でも頻度が低いのでそれに合わせると荒れ放題かもしれない(苦笑)。