天職の舞台裏

天職と思って日々仕事をしてますが、その舞台裏で色々考えていること、あるいは水面下でジタバタしてることを書いています。

文末のバリエーションと文体

先日、某所で「文体」と言われるものの多くは文末をどうするかに依っている、という話がありました。そして、あまり改稿せずに速くどんどん書いたほうが自分の自然な文体になる、という話もありました。

私は割とこうしたブログの記事を書く時でもちょこちょこ戻って読み返しして、「ゴツゴツしている」と感じたところに修正を入れていくことが多いです。ブログの場合は、仕上がった状態でどんなふうに見えるかが重要なので、少しずつ書けた状態でプレビューも多用したりします。2段落書いたらプレビューする、みたいな。

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プレビューした結果、ここは読みにくい、と思ったら修正する、改行を足すなどの処理をします。プレビューする目的の一番は改行の必要性を見るためかもしれません。これは記事を書いている画面だとよく分からない。少し筆が止まるとプレビューして、これまでこういう流れで書いてきたんだよね、ということを確認して、続きを書く、ということがしたくなります。

改行以外に何を整えてるんだろうと自分を振り返って思ったのですが、言われてみれば、主に文末でした。

このブログは基本「ですます」調で書いていますが、すると、普通に書くと文末はたいてい「です」「ます」「でした」「ました」で終わってしまいます。否定形であれば「ません」かな。特に、「思います」のオンパレードになってしまうことが多いです。

すると「おもいます」や「です」の「す」が続いて気になるので、そういうときは、「ね」をつけてみたり、体言止めなどで、文末を省略してみたり、あえて「である」調を挿入してみたりします。「う」「あ」の音で終わり続けると飽きて座りが悪いと感じるんですよね。そこで、形容詞「い」で終わらせたり、省略して、「思いました」でなく「思いまして」としたり、「とか」や「ことも」で終わってみたり、「た」で終わっても「......」を付けてみたり、?や!で終わってみたり。

で、これらの修正って、ガンガン書き進めているときには気にならないというか、気にしながら前に進むのって無理なので、せめて段落単位で読み返してバランスを取りたい。できれば、文頭からの流れを見たいので、最初から読み返してつっかえたところで調整をかけたい。

どうやら、この流れが自分の感覚に合っているかどうかが割と重要で、そこが私の文体を作っているように思います。

文末以外にも、流れが悪いと思うと、地の文の中に会話調を混ぜたりもします。ただ、これは、書きながらやっていることが多いかな。その会話調が他の地の文の中で変に浮いていないかどうかは読み返してチェックします。やりすぎに思えるときはもう少し抑えたりしますし、もっと強調したほうがよいと感じれば「」つけたり引用符号使ったりします。その中間で、前後に改行だけ入れる、ということもあります。

そのほかには、接続詞を変えたり、抜いたり、追加したり、読点(「、」)を抜いたり入れたりもよくやります。これも、文頭から読んでこないと流れが見えないので、読み返しの際にする修正ですね。逆に、全体が完成していなくても、読み返したところを整えておけば、最後まで書いたときに全体が見えたせいで初めのほうを変える必要が出てくるってあまりないので、無駄な作業に終わることはほぼありません。だんだん整っていって、分岐が少なくなってくるイメージでしょうか。

読み返しているときに誤字脱字はよく見つかるので、それも併せて修正していきます。

まれに、整えつつ書いていたはずなのに、途中でどうにも書けなくなって丸ごと廃棄することはあります(仕方なし。残念)。

と、ここまで書いてみて、これだけ自覚したら、バランスとりながら文末にバリエーション入れたりしながらガンガン書いていけるんじゃないかしら?とふと思いました。これも試してみようと思います。