天職の舞台裏

天職と思って日々仕事をしてますが、その舞台裏で色々考えていること、あるいは水面下でジタバタしてることを書いています。

物足らないの正体は

オフィスに行かずに仕事をする(=通勤時間がない)、地方でも距離のハンデなくオンラインで会議やセミナーに参加ができるといった仕事の環境に(強制的に)なって2ヶ月ほど。

これが自宅にいなければならない(外出が「できない」)のではなくどこからでも仕事ができるだったらさらに良いですし、時間にも縛られないと理想的なのですが、前者は感染防止のための状況下では仕方なく、後者は組織・チームで働いている以上はある程度は仕方がない(連絡が取れるようにスタンバイである必要性がある)と思っています。

なので、オフィスに詰めて仕事をしていた頃より快適で、時間に余裕もできて、やりたいこともできて、満足度が非常に高くなっていても良いと思うのですが、実感としては、「確かにそうなんだけど、なんだか物足らない」というのが正直なところです。なぜだろう?と思ってその理由をつらつら考えたので、例によって今この状況下で考えたこととして残しておこうと思います。

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1. 余力がある

首都圏ほどの長時間ではないにしろ満員電車に揺られて毎日通勤するという肉体的・精神的負荷がなくなりました。たまにオフィスに出るとウィルス感染下ということもあって負荷が増していることを差っ引いても通勤って知らず知らず負荷かかってるな、と認識します。これが平常になると感じなくはなっていくのですが、確かにそこには負荷があるわけですね。これがなくなって、時間的にも、「壁」がなくなったため朝のやりたいことが余裕をもってやれるようになりました。

具体的には、8時15分に家を出なくてはならないから、今これを余所見しないで5分でやって、次はこれで、と全力疾走している感じが取れます。これまでと同じようにたすくまにあるリストを見ながら朝過ごしているわけですが、「ちょっと時間オーバーしたら間に合わなくなる」「やりたかったこれができなくなる」というプレッシャーがないのはメンタル負荷的に全然違います。実際にも、8時15分までにしなければいけなかったことが8時55分で良いわけですから、余裕もあります。これまで5時半〜6時の間に起きてギリギリだったのが、なんなら7時半に起きてもこなせるよ?という感じになっています。

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帰路については朝よりも人が分散するのでそれほど混雑はしていないので通勤負荷はさほどではないのですが、1日仕事して疲れてはいますから、帰宅すると疲労感は増しています。そしてまた、帰宅後就寝までは就寝時刻を「壁」にしたタスクリストに追われたような過ごし方になりがち(そうでないと就寝が遅くなりひいては翌日の朝が起きられずのスパイラルになるので)。

通勤で稼ぐ運動量が割と大事だよな、と最初の頃思っていたのですが、最近は午前中にステッパーとコアトレーニングをすればその分+アルファで確保されてしまい、こっちの方がちゃんとトレーニング・エクササイズになっているので体調的にも良いんですね。

また、オフィスに行かないと、これは良し悪しあるのでしょうが、人との接触や人が大勢いることの雰囲気(ざわざわした空間で物事が並行して進んでいる感じ)にさらされることがなくなります。私の場合、これまで案外これで消耗していたことが分かってきました。これはどうやら人にもポジションにもこれまでの仕事の進め方にもよるようで、これがなくなって落ち着かないとか、うまくインフォーマルな情報が拾えなくなって仕事が進めにくくなったという担当も多い模様。

オンラインのコミュニケーションだと、雰囲気や空気がなくなって、積極的にメッセージをやりとりしないと進みませんし、ちょっと電話をかけてとか、ちょっと相手の席まで出かけて行って話をする、ということもできません。私はこれまでこういったことが比較的苦手で、電話の量も少ないし、なんでもメールで(テキストで)済ませられたら良いのにと強く思っていたくらいなので、テキストチャット万歳で、そこに齟齬もあまり起きないし、なんなら苦手な人のフォローをしても余裕があります。

ということで、通勤とリアルな場での人との接触がなくなった結果、これまでと同じようなつもりで1日仕事をしていても、おそらくは余力があるのだろうな、と思います。ということは、同じ仕事のレベル感・量だけやっていたらやり甲斐とかチャレンジングな感じとかあまり感じられなくて、達成感が得にくく、「物足らない」のではないか、と。身も蓋もない話ですが。

2. 身体性が足らない

1と逆になりますが、家に引きこもっていて(散歩にも出られなかったりして)、コミュニケーションは全部オンラインになると、五感のうち使うのは視覚が圧倒的で、WEB会議で聴覚が少しプラスされるだけです。

一方、これまでの日常なら、通勤だけでも街路樹の移り変わりや天候の変化による外気の変化は体全体で(触覚や嗅覚も交えて)感じ取ることができます。出張などでも地元を離れれば、もっと変化はありますし、旅に出ればさらに。また、美術・音楽に触れる、手を動かす体験をする、といったことでも身体的な刺激を通して精神的な充足感を覚えます。

デジタル空間で身体性をどのように得るのか、というのは目下の研究課題として大きなものであるようですから、そのうちにはこれも解決していくのかもしれませんが、リモートワークするならタワマンじゃなくて緑豊かな郊外が絶対!という意見が出ていたように、生物としての人間には、オンラインでのコミュニケーションで不足しがちなものを補える身体的刺激・身体性が必須なのかもしれません。

これから先の、完全にウイルスがいなくなるわけではない=従来の環境に完全には戻れない中での日常では、密を避けるため&生産性を上げるためにオンラインが最大活用されるとともに、旅やアート・体験のような五感のバランスを取るような身体的刺激を十分入れていくのがいいのかな、と思います。

ということで、目下の状況下では、まだ旅に出るわけにも行かないので、少し先に始まるだろう美術館・博物館の再開を楽しみにしつつ、散歩の積極的再開をしていこうかと思います。

3. 家には「やれること」が多すぎて

当初考えていた理由は1と2の2点だったのですが、noteを読んでいたら、これまでリアルで提供していたセミナーなどをそのままオンラインでやろうとするとうまく行かない理由として、外に出てしまえばやれることが限られる一方家ではやれること・やるべきこと・やりたいことが山のようにあるため、競争が激しくなる=実は参加してもらうためにはオフラインよりも時間単価が上がるのだ、という趣旨のことを書かれている方がいて、面白いな、と思いました(おすすめで流れてきてそのまま読んだため、引用しようとしたら既にどれだかわからなくなってしまいました)。

だから、1日外出して1つ2つのことをやっただけで満足できるのに、家で同じように1つ2つやっただけではなんだか1日中ダラダラ過ごしたかのように思って達成感が得られない、などということが起こる、という。「あれもこれもできたのにやらなかった!」という評価になってしまうんですね。あるあるだな〜。

ということで、ずっと家にいる限りは、確かにそうした面はあるように思います。家族の中で外に出ている人が家にいる人に「家にいるんだからあれもこれもやっておいてくれたらいいのに」と思うとか、育児休業中に家事をもっとやっておいて欲しいと期待されるとかにも通じますね。1で書いたように、今までより楽にできるからこそ、もっとやれたんじゃ?と思ってしまう罠もあるのかな、と。

なんだか晴れの日が続くと毎日布団を干したくなる感じ?これまでは週末にしか絶対できなかったことができるので。