天職の舞台裏

天職と思って日々仕事をしてますが、その舞台裏で色々考えていること、あるいは水面下でジタバタしてることを書いています。

完璧を求める気持ち

標題に関するjMatsuzakiさんのVoicyを聴きました。

まあねぇ、そうだよねぇ、と思いつつ、面白かったのは、jさんが、ポッドキャストの方で日本のいいところを挙げられていた中で、それって完璧主義から来ているのでは?と思うところがあったりして。

open.spotify.com

プロフェッショナルと完璧主義

私の価値観の中で、最上位に来るものは、「プロフェッショナルたること」です。職掌が広がって専門領域がよくわからなくなってしまったりしましたが、「自分の仕事」として改定し、次のようになっています。

「自分の仕事」を定め、それについてプロであることに矜恃を持つこと、そこに高い倫理とアウトプットを保つこと、すなわちスタンダードを高く持つこと

これについて触れつつ書いた以下の記事も引用しておきます。

backstage.senri4000.com

で、これって、スタンダードを高く持つことにより、完璧主義に直結しやすいな、ということも言えるかもしれません。アウトプットのスタンダードを高くしようと思うことがすなわち完璧であれということではないと思いますが、Howとしてそうなりやすいということは言えそうに思います。

jさんが言われるように、プロトタイプを作って早めにフィードバックを求めることにより、高いスタンダードのアウトプットを出していくことは普通にできるわけで、最初から完璧なものを出す必要があるわけではない。けれども、「えー、こんなレベルのもの出していいの?」となる恐れは常にあるように思います。自戒を込めて。

また一方で、私自身の価値観としてプロフェッショナルたることを強く求めるため、その裏返しでプロフェッショナルとしてサービスを提供している人にも高いアウトプットを求めがち。え、その状態で出してくるんですかあなた!という気分になりやすい。特にこれが自分の専門領域だと一層厳しくチェック入れがち(嫌なクライアントだ。。)。

お互いに甘えを許さないことで切磋琢磨する効果はもちろんありつつも、99%, 100%の出来栄えを常に求めているとアウトプットのタイミングは遅れがち。いい塩梅のところを求めていきたいものです。

とりあえず出しました、のプロトタイプ的なアウトプットをみて、それはないでしょ〜という気分になり、チェックを入れまくるのはどうなんだろう。出す側のリソースを受け手に付け替えているだけではないのだろうか?という気もしてしまい。難しいです。

日常的なサービスのやり取りにて

おもてなしとか、お客様は神様です的な要求とか、いかにも日本スタンダードなサービス水準は、リソースに余裕がなくなってきた現在、見られることが減ってきたように思います。そんなところにコストかけていられない、人いないし、どんどん出していった方がいい、という感じの提供者も増えているような体感です。

飲食店でも、「すみませんこれ忘れてて」とか「うまく動かないんですこれ」などというやりとりで客側が待たされたり別の手段を取ることになったりというシーンもよく見かけるようになりました。怒り出すお客もいるのかもしれませんが、幸い今のところそういう局面に遭遇することはなく、みなさん平穏に対処され、なんならコミュニケーションのきっかけになって和気藹々となっているようにさえ見えます。

そんなトラブルはいつだって起こるんだから、当然だよ!みたいな顔をするのはちょっとな、と思いますが、にこやかにお互い気持ちよく対処して行ければいいよね、それを完璧にするためにおやすみが増えるとか、お店が閉まるとかより全然いいよね〜などと思った昼下がりでした。

いえね、スープを頼んだのに、スプーンが提供されなかったり、手で食べる想定のパンが出てきたのにお手拭きがなかったり、という小さなことがちょくちょく起こって微笑ましいな、と思ったものですから。