先週のまとめに、チラと書きましたが、先週、タスクシュート関係の方と2件WEBミーティングをやりました(2つの関連はなし。1件は、昨日の記事に書いた件でうさぼうさんとのミーティングでした。)。
もう1件のミーティングの際に、端的に「なぜ(長年)タスクシュートを続けてるんですか?」と問われまして、その場で咄嗟に出た答えは、
翌日のレビューが楽しいから
でした。後から思うと、いやそれだけじゃないでしょ、と突っ込むところなんですが(汗)。
後からよくよく考えると、「続いている」のと「続けている」の2つがあって、楽しいから、というのは「続いている」理由の方だな、と思いました。
続けている理由
毎日1日分のプランを作り、実行するたびにボタンを押して開始・終了を記録する。終了時にはできるだけコメントを入れる。終了時じゃなくてもコメント入れたくなったら入れるようにする。
タスクシュートはこうしたメソッドですが、特に慣れるまではまあまあ面倒ですし、慣れてからでも他に注意が向いていて忘れることは多々あります。でも、そうした時でも戻って記録したり、歯抜けになってもそこから続けたりして、「やらなくなる」ことはありません。
2014年の7月に始めた「たすくま」は、2024年の11月に一度壊れてしまって再インストールしたため、今のものには過去のログが入っていません。
でも、1日のログを吐き出したレポートはEvernoteのノートとして残っており、これが現在3,900余り。ということは、毎日使ってきたとみなしていいんじゃないかな、と思います。自分的にもしばらくやってなかった、タスクシュートから離れてしまった、という覚えはないですし(あったら復活したタイミングで記事にしてると思うし)。
基本的には、睡眠時間を除く24時間の記録を取っています。余り細かいもの、意図せず随時に発生するものは記録していないものもありますが。
で、続けていることによって得られるもの=価値を感じているところは、繰り返し書いてきたように、「平常運転が楽になる」なのだと思います。
1日を楽に(無駄にエネルギーを使うことなく、最適に)送ることができ、それが快適さにつながって、自分をご機嫌に保つことができる。
引用した「Afterタスクシュート(その1)」の中に書いたように、心身の状態として、ちゃんと睡眠が取れて、気持ちの良い自然に触れつつ歩くことができ、それなりにエクササイズもして体調が良く、おかげで頭がスッキリして働いているという状態がベストでありご機嫌という自覚があるのですが、そうした状態を保つためのあれこれもタスクシュートの中に預けてあるので楽に保てる、という構造になっています。
続いている理由
それは分かった。でも続かないんですよ。という質問もよく受けます。
仕事を終えて家に帰ってくるともう疲れてしまってタスクシュートを開く気になれない。開始ボタンを押さずに始めてしまっていて、ふと気がつくと記録なしで数時間が過ぎていて思い出せないし、「ああまた飛んでしまった」と嫌になって開けなくなってしまうんです、とか。
それは当初私もあって、効果がわかっているからすなわちできるというものでもないんですよね。
うまく回るようになったのは、どこかで(おそらく佐々木さんだったと思うのですが、一次情報を見つけられない)「記録のレビューはそれを読んで楽しいだけでいいんですよ」と言われてから。「なんだ、楽しいだけでいいんだ」と安心し、そこに楽しみを見出すようになり、実際楽しいな、と実感するようになってからです。
Evernoteに1日分の記録を送り、翌朝朝食までの時間の中で一通り読み返します。見返しているのは、ほとんど写真とコメントで、時間の長さとか何時から何時まで何をやったとかは正直全く見ていません。時間の流れの順に並んでいるので、ざ〜っと流して読んでいく。なので、写真が多いほど、コメントが多いほど読んでいて鮮やかに記憶が蘇る=楽しいので、できるだけコメント入れるように、写真も撮るようにしています。減ってくると楽しくないので「楽しくない」とコメントに入れ、翌日はそれを読んでせっせとコメントを入れる、の繰り返し。
これは、5年前に書いた記事からの引用です。記憶が蘇る、再生されるのが本当に楽しい。楽しい1日だったから楽しいのではなくて、記録によって記憶が再生されるということが面白いし楽しいのですね。
なお、上記は「たすくま」のログレビューの話ですが、現在、TaskChute Cloud 2では、下の画像のようなレビュー用のビューで行っています。

たすくまのログレビューでは定量的な実行記録(開始時刻や終了時刻、実績時間)は全く見ていませんが、TCC2では、一通り上からログを眺めています。詳細に時刻を見ているわけではないけれど、このセクションではこれをやったな、という感じで眺めるし、時にはこんなに時間かけてたんだ、などと思うこともあります。この辺りは、たすくまのログよりも見やすい(PC画面で大きいし、タスクごとにカラー設定されているので流して見るのが見やすい、楽しい)ようで、当初コメントがないのでつまらんとか思っていたのですが、案外そうでもないんだな、と発見があったりしています。
最近始めたのは、タスク名の後に一言コメントを入れてみる、というところ。この一言があるだけで、さらに記憶の再生力が高まって、楽しさがアップします。
しかし、昨日の記事に書いたプロジェクトノートが続かない件といい、私にとって「楽しいかどうか」が実はとても重要なのでは、という発見があったここ最近なのでした。