昨年の母は、2回倒れており(脱水症状と転倒)、駆けつけて受診に付き添いました。
どちらも救急搬送するほどではない判断でした。以前に搬送されたのは、2021年のことでしたので、もう5年になるんですね。
さて、先週のまとめや5月のまとめにちらっと書きましたが、5月末の日曜日、拠点2にいた私のところに見知らぬ番号から電話がかかってきました。出先で通話が取れなかったのですが、何度もかかってきて、ようやく出れたら「救急隊です」と言われて驚きました。。。
出先で嘔吐・意識混濁で救急車
その日は、近所の方のお宅で母が長年信仰している宗教関係の集まりがあり、車で迎えにきてもらって連れて行ってもらったとのこと。
後からお聞きしたところ、お式が始まる前にトイレを借りたらちっとも出てこないので様子を見に行ったら嘔吐があり、その結果意識が朦朧としているようなので、これはまずい、と思って救急車を呼びました、と。そのお家で何か食べた、ということではなく、「おそらくサバ缶じゃないかな」と言われ。。

かかってきた救急隊員さんからの電話では、「かかりつけがM病院とのことだったので、今そちらに向かってます」と言われました。
この搬送先病院というのが案外ネックでして、父の生前に運ばれた病院が私と妹の居住地から離れる方向で、駆けつけるのに時間が実家に行く倍以上かかって参ったという経験がありました。私たちの居住地と実家では自治体が異なり、さらに救急の管轄の関係でそうなったのだと思います。前回の母の搬送時には、妹が対応してくれましたが、搬送先をこちら側の病院にしてもらうのに救急隊と掛け合ったりしていました。
今回向かってくれたM病院というのは、実は認知症外来でこのところ通っていた病院で、私や妹の居住する側の市内にあります。実家からもさほど離れてはいない(隣接市ですしね)。「かかりつけ」を問われてM病院と言ったのはおそらく母で、最近通っていたから印象が強かったのだと思います。よかったです。遠方に連れ去られないで。。
サバ缶のこと
「おそらくサバ缶」と言われたのには、前段があります。母は食べることが何よりの楽しみらしく、隔週の訪問で作り置きをしたり持参したりしても2〜3日で食べ尽くしてしまい、毎週届く生協のお惣菜でも追いつかない。食料が尽きると、ヘルパーさんに「買い物に行って」と頼んでは断られて立腹する、ということが続いていました。
一度にたくさん食べてしまうし、加減もきかない。目につくものは食べてしまうし、いつ何を食べたかも覚えていられない。ここを正すのはもう無理なので、せめて手元の食料が切れないように、とAmazonの定期便でサバ缶やイワシ缶を頼むようにしたのでした。缶なら開ける手間がかかるぶん、一気食いの歯止めになるかも、という仮説で。
その歯止めにするはずのサバ缶も、一度に食べすぎて、今度は胃腸炎で運ばれたのでは?、というわけです。なんとも。。
拠点2から駆けつける
電話を受けたとき、私は拠点2にいました。家族が出向く必要があると言われ、予定を変更して最早の高速バスで拠点1へ向かうことに。バスが着くまで時間がかかるので、拠点1にいた夫に相談したところ、病院からの連絡を待つのではなく、先に自分から電話して連絡先を変えてもらうんだよ、と言われて、そのようにしました。
電話した時点では、まだ救急外来で検査中であると言われたので、自分はこれから向かうが、遠方からのため時間がかかるので、第一の連絡先は夫にして欲しいと依頼しました。が、病院からは夫に連絡は入れてもらえず、夫は連絡を待っていた状態で数時間。病院はただ私を待っていただけということが後から判明しました。内部の連絡が混乱していたのか引き継ぎがまずかったのかは不明です。病院からの連絡を待たずに夫から連絡を病院に入れて貰えばよかったです。もっと早く動けたように思います。今となっては、ですが。
バスの道中はなぜか波乱続きで、サービスエリアが混雑して停められず休憩地が変わったり、事故渋滞で遅れたり。気が急いているときに限って、こういうものですね。。
病院へ、そして実家へ
夕方すぎに拠点1へ着き、タクシーで病院へ。母は救急外来入口の椅子で車椅子に乗せられて待ってました。連絡の行き違いもあって先行していた夫から聞いたところによると、診断は胃腸炎。診療明細を確認しましたが、血液検査・エコー・点滴をしてもらっていたようです。特にそれ以上のことはなく、入院する必要もないので、その日のうちに連れて帰れることになりました。
前回2021年の時も同様の結果でしたから、病院入りする前に妹と、「また同じような感じじゃない?」と言い合っていた通りになりました。基本丈夫なんですよ、母。
入院にならなかったのは何よりですが、母は意識はしっかりしているようなのに、汚れて借りた病院着を「返さないかん」と脱ごうとして「脱がなくていい。借りて帰っていい。あなたの服は汚れていて着替えられない」と説明する。しかしその後30秒もすると「返さないかん」と脱ごうとする。。繰り返される押し問答でした。
やはりぼーっとして動きが鈍かったりもしていました。車椅子でそのまま病院のロータリーに止めた車に向かいます。実家へ。
到着後、車からは自分の足で手すりを伝って玄関までの階段を登り、ヨタつきながらも家には入れたものの、足はいつもよりむくんでいるようで、廊下に置きっぱなしの4点杖を使ってキッチンへ。このところ杖は使っていなかったと思うので(伝い歩きで済んでいた)、やはり足元が心許なかったのだと思います。
そのキッチンを見れば、シンクには食べ終わったジップロック容器がいくつも、テーブルにはサバ缶の残りが置かれていて、そのせいで家じゅうにサバ缶のにおいが残っていました。
ジップロックの容器は、1週前の週末に作り置きしていた卵焼きやラタトゥイユを入れていたものですが、1週間でというか、本日朝から昼までに4〜5個を食べていたのかもしれません。足らなくてサバ缶を開けたのか?それは食べ過ぎだよね。そして、食べかけでお迎えが来て出かけたんでしょうきっと。。
どう見ても食べ過ぎですわ。。パジャマに着替えさせて、今日はゆっくり寝るように言って引き上げました。一人にして大丈夫かな?と一瞬思いましたが、疲労感は見られるものの、しんどそうでもなかったので、寝れば元通りのパターンに見えました。おそらく翌日には普通にデイサービスに行くのではないか、と想像。
汚れた衣類や借りた病院着は私が持ち帰り、洗濯することにしました。母にもそう説明しましたが、理解したかどうかは怪しい感じ。。。
病院着は翌日洗濯し、翌々日には夫に病院に返却に行ってもらいました。
このまま一人暮らしは限界か、という問い
搬送先でも、その場に居合わせた近所の方からも、「このまま一人暮らしは難しいのではないか」「悔いのないように」という言葉をいただきました。
正直に言えば、この問いには複雑な気持ちになります。母が一人暮らしになってからの数年、私たちは行き当たりばったりではなく、その時々で考えて介護の体制を組み直してきました。今の形は、その積み重ねの結果です。「悔いのないように」と言われるまでもなく、悔いの残らないように手は尽くしてきたつもりで、これ以上どこを悔いればいいんだろう、と思ってしまうところがあります。
現実的な選択肢も多くありません。母はありがたいことに元気な方で、それゆえ要介護の段階としては軽く、公共の施設には入りづらい。かといって自費の施設は、使える資産に余裕があるわけでもない中では現実的ではありません。だから、今の体制で行けるところまで行く、というのが、悲観でも諦めでもなく、考えた末の覚悟です。
近所の方の言葉にも、理由はあります。同居の家族がいれば気にかけずに済むところまで、気を配っていただいているのは事実だから。そこは本当にありがたいし、申し訳なくも思います。ただ、家族の介護に対する距離感は人それぞれで、理解はできても共感まではできるか、というと難しい。みんな、自分の生活がありますしね。
とはいえ、一人暮らしを継続するにしても、今回のような時に駆けつけて、心配なら一晩は泊まれるようにしておく設備は用意する方が良いのでは、という問いが再来しました。母の状態自体の手当の方を優先するようになったここ2年ほどで、住まいの整備が途中で止まっているのも事実。完了しなくてもいいところまでは来ているのですが、簡易ベッドとかの宿泊設備は正直失念していましたので、これは早めに用意するようにしたいと思います。