Claude CodeとAI協働を日々進めています。レビューシステムを支援してもらう、というところから始めたのだけど、その守備範囲はどんどん広がっている。
一方で、最初は週や月のまとめ記事をドラフトまでしてもらっていたところ、「そうじゃない〜」が強くなり、文章は自分で書く、素材を揃えるところを任せる、という分担に落ち着いてきました。
タイトル案の響かなさ
ということで、文章本体を書くのは私、素材はAIという分担で、アウトラインが量産されるようになってきました(大汗)。だって毎日日記ワークフローでテーマの種を拾ってくるんだもん。。(上記に引用したW27のまとめ記事を参照くださいまし)
大掃除と並行して、「アウトラインのファイル名を眺めていても書く気持ちが湧いてこない」という私に、Claude Codeは、「Claudeがつけたタイトルだからなのかも。本人の言葉をそのまま切り取ってタイトル案を作ってみました。どうでしょうか?」と提示してくれました。
| 元のタイトル | 「本人の言葉」から付け直した案 |
|---|---|
| 状況タイプ分析 | 「会食は独立変数じゃなかった」 |
| 気持ちを最優先にしないマネジメント | 「私は人の気持ちを最優先にはしない——では何を?」 |
| 監督・執行・経営と属人の均衡 | 「経営が足りない。属人の危うい均衡で成り立っている」 |
| クラウド整理は軸を立てるが9割 | 「で、これはどこに置くのが正しいのか」で手が止まる |
これをみた私の反応は、これでもわざとらしい感じがするので、あまり変わらない(書く気が起こったりしない)。なぜそうなのかをClaudeが色々問いかけて解明しようとしてくれました(汗)。
そもそもね、本人の言葉かもしれないけど、本人そんなこと覚えてないわけですよ。てことは、切り取り方が私ならやらない形になってるんでは?がまず一つ。装飾ですか?書き方ですか?と突っ込まれ、いやそもそも、その内容に私ならその選択でタイトルにしないんだと思うわ、というちゃぶ台ひっくり返し系の返しをしました(ごめんねClaude)。
食い下がるClaude君。これまでの現物タイトルをさらに並べてきました。そして曰く、
実際の記事タイトルにも、Claude作のような「主張っぽいタイトル」はあるんですよね。
- 「効果検証ではなく『うまく行ってない原因分析』」
- 「1週間1拠点に滞在すると、他方の景色が変わる」
ごめんそれ、元々Claude作で、「ん〜、まいっかこれでも」で採用したものだから!
「まあいいか」と「わざとらしい」を分けるもの
あまり深く考えたことがなかったのですが、「まあいいか」で採用するものと「わざとらしい」で却下するものの差はどこにあるのか。「わざとらしい」センサーはどこに働くのか。「わざとらしい」と嗅ぎ取ってしまうと、耐えられないので採用は無理なんですよね。。質問に答えつつ考えてみると、
主張っぽさの程度かな?そうか?と思うものは却下したい、わざとらしいと感じるんだと思います。
「そうか?」って、私割とよく言うらしく、いくつか過去にもコメントしています、と引っ張ってこられました。「そうか?」センサーと名付けられた(汗)。
なんとか言語化すると、
断言することに伴うもの、というか、断言するということは、この程度の確信があるはず、あって然るべき、というラインがある。
断言する場合がそれは強いんだけど、そうじゃなくても、選ぶ言葉によって、それが含意するものの強さというのはあると思う。それが自分の感覚とずれていると「自分のものじゃない」感じがするのではないかと。
そうか。だとすると、自分の言葉で書くこだわり、というよりも、言葉が含意するものの強さが自分の感覚に沿っているかどうかが肝心、ということですね。そりゃ難しいわ。。
読者が誰か
私がブログを書く理由の大きな部分は、それによって自分の記憶の再生が担保されるから、鮮やかに蘇るから。それによって「あっという間に過ぎ去った」感がなくなるから。
ということは、私のブログの第一の読者は私なんですよね。自分で読み返す回数たるや、ということです。
ですから、自分が読んで辛いもの、違和感が残るものは、読者としての私が許してくれない。これが他の方が書いているブログだったとして、それまでの文章と違ってきたらそっと読みにいかなくなってしまうのだろうと思います。
一方で、ブログはAIに渡せる資産でもあります。そちらの観点では、私の違和感はどうでもいい。AIが読んで整理してくれるだけの目的の文章なら、素材もタイトルも文章も全部お任せしてOKだと思います。そういうものもあってもいいかもしれないな(機微情報が多くて公開できないけど資産価値はありそうという類のもの)、と思うことが最近出てきましたので、これは試してみようかと。
AIと考えることで、自分の感じているものが言語化されて取り出せるようになるのがとても面白いな、の経験がまたひとつ、という話でした。