天職の舞台裏

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天職の舞台裏

天職と思って日々仕事をしてますが、その舞台裏で色々考えていること、あるいは水面下でジタバタしてることを書いています。

「たとえ」をいかにしてもってくるか

本・雑誌 書くこと

今週のWRMの知的生産エッセイは「馴染みのある言葉力の高め方」で、前号エッセイ「わかりやすい説明」の感想ツイートから生まれた題材でした。

「わかりやすい説明」で大事なポイントは「馴染みのある言葉がある」であり、(1)「相手にとって」馴染みのある、(2) 自分の伝えたいことと親和性のある「たとえ」をもってこれるか、という2つの大きな壁があるのでは、とされた感想ツイートから、

どうすれば、この二つの力を高められますか?

という問いに変換され、本号のお題とされたものです。(2)の「たとえ」の取り扱いについて、エッセイを読んでいくつか思ったことを書いてみます。

たとえの扱いのポイント

「たとえ」は中々扱いが難しい、とされつつ、上げられたポイントは3つ。

  1. 連想をたよりにする

  2. 構造に注目

  3. 検たとえする

「たとえ」は、一種の創作であり、重要となってくるのは連想。理屈の壁を飛び越えるジャンプで何かと似ている何かを思い浮かべる。そして、こうした連想を浮かびやすくするコツは「構造」に注目すること、とされています。マクドナルドの例を挙げながら、骨子の押え方、その構造への注目の仕方が説明されています。

たとえの出発点が連想であるため、頭の中に概念を多く持っている人の方が連想が生まれやすいので、広い情報摂取が鍵を握るけれど、たとえを機能させるためには、単に情報を蓄えるだけでなく、その構造(骨子)に注目する必要があると締められています。

説明でなく、確認に「たとえ」を使う

さて、私は仕事上で頻繁に「たとえ」を使います。但し、説明のために使うのではなく、相手が説明してくれた内容を端的に確認するために「たとえ」を使っているのです。

私が仕事上で接する相手は大半が技術者です。発明者エンジニアであったり、エンジニア上がりの特許担当者であったり。そして私は技術系ではありませんので、彼らの説明を構成している言葉を同じレベルで使いこなすことができません。しかし、説明された内容を理解することはできます。

とはいえ、「理解している」と思った内容が誤解である可能性もありますから、正しく理解しているかどうかを確かめる必要がありますが、同じ言葉を使って確認することが難しいため、自分の馴染みのある言葉に置き直し=「たとえ」を使うのです。

「たとえ」のおかげでポイントが明確になり、細かい点がずれていることが判明することもありますし、ポイント自体がまったく違っていることもあります(この場合、説明をやり直してもらいます)。

抽象化して再び具体化する

この際、どのようにして「たとえ」を持ってくるのかと言えば、まず、「それは要するにどういうことか?」を考えて(倉下さんの言葉で言えば、骨子を取り出し)、しかし、そこから連想で似たものを探すのではなく、いったん上位概念化(抽象化)します。

しかし、抽象的な上位概念をそのまま相手に投げても大抵の相手には理解してもらえませんし、上位概念だと広くなりすぎて勝手解釈されるリスクも高いので、次に、その上位概念を、互いに馴染みのある日常語やIT用語に置き直した「たとえ」を探します。

感覚としては、いったん上に階段を登って違う階段を降りてくるイメージです。あまり連想で壁を飛び越えたりジャンプしたりしている感じはないんですよね。これは、自分で説明するために「たとえ」を考えているのではなく、相手の説明を自分なりに理解するために「たとえ」を探しているからなのかもしれませんが。

とはいえ、この「たとえ」を持ってくる力は経験が長くなるにつれて向上している気がします。端的に説明できる「たとえ」を思いつく(上って降りてくる)のにかかる時間や負荷が減っていてほとんど自動実行されています。そういう意味ではやはり連想なのかもしれません。

ちなみに、特許の世界では具体的なことを抽象化(上位概念化)して取り扱うため、この抽象化と具体化の往き来を頻繁にやります。なので、特許屋同士で話をするときは、上位概念のままで話をすることも間々あります。とはいえ、抽象化した用語のままだと脳の負荷が高いので、「たとえ」の方が日常的には使いやすいです。