天職の舞台裏

天職と思って日々仕事をしてますが、その舞台裏で色々考えていること、あるいは水面下でジタバタしてることを書いています。

想定と覚悟

自ら行ったことの結果や、自分に関わりのある人の行動による影響など、自分のコントロールできる範囲を超えた結果を引き受けざるを得ないことがあります。直接的な結果もあれば、巡り巡って影響が及ぶこともあります。

こうした自分へのいわばインパクトについては、できるだけ想定しておくように心がけています。

何か行動を起こすときに、それが引き起こす結果は、もっとも好ましい場合(これが狙いで行動するわけですね。)から、こうはなって欲しくない場合(最悪の場合)まで、幅があります。また、関わりのある人がなにか行動するときにも、その人にとって、というよりも、自分にとっての最も好ましい形からできれば勘弁してほしい状況まで幅があるのが普通です。

直接の働きかけがない場合でも、関わりのある人の行動の傾向から、ある程度の予測がつく範囲というものもありますし、日常的な自分の行動範囲の中の想定範囲というものも、もちろんあります。

できるだけ想定しておくことで、好ましくない結果が出たり、好ましくない影響にさらされたりしたときに、パニックになったり、怒りを覚えて衝動的に反応したりして、さらに事態を悪化させることを回避することができます。想定するということは、覚悟しておく、腹を括ることにつながるのだと思います。

こうした習慣がいつの頃からか日常化したのですが、それが子育ての中で悟ったことなのか、相手との厳しい交渉が常態の渉外業務を長年仕事にしている中で培われたのかはよく分かりません。きっと両方の作用なのでしょう。

このように、想定の幅の中で腹を括って過ごすのが日常なので、想定を超えてしまうこともほとんどなく、結果、我を忘れて怒るということも、ほぼありません。とはいえ、好ましい結果とできれば避けたい結果があるということに変わりはないわけで、想定の幅の中の1つが不本意にも発動してしまった事態にやっぱり動揺したりするのでした。幸いにして頭が真っ白になるということはないのですが。

そして、相当不本意な結果がでた場合の動揺が静まるのには、3時間くらいかかるようです。。。