天職の舞台裏

天職と思って日々仕事をしてますが、その舞台裏で色々考えていること、あるいは水面下でジタバタしてることを書いています。

車の運転が苦手である

少し前に、「電話が苦手」を解放する、という記事を書きました。

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よく似た話になりそうですが、今回は、車の運転が苦手、というネタです。

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そもそもは、グッドバイブスで「犠牲になってる感」に思い至ったのが、

私が乗るときに給油ランプがついていることが多い!

私は車の運転が苦手なのに!

車に乗る頻度は誰よりも低いのに!

どうして私ばっかり!!

と思うことがあったわ~、なのでした(苦笑)。

車の運転が苦手、というのも盛大な意味づけなのですが、この苦手感の元になっているのは色々ありまして、主にはこんなところかと。

  • 教習所で中々課程がクリアできず、卒業検定で1度落ちた
  • 縦列駐車がうまくできない
  • 車幅の感覚がうまく掴めないためか、狭い道路ですれ違いが怖い。ひいては狭い道路自体が怖い
  • ハンドル操作と車の動きがちゃんと理解できていないためか、駐車がうまくできず、入るのも出るのも大変
  • 車線の中央を継続して走ることがうまくできない

積み重なりますと、運転するの自体があまり嬉しくない状態になりまして、できれば避けたい、と免許取得してからずっと思ってきたんですよね。

とはいえ、カナダにいた6年間、車なしで生活するのは無理でして、まあ他のご近所の方々に比べれば、バスやら列車やらを使う頻度がとても高かったとは思いますが、それでも送迎や買い物などは自力で運転して行っておりました。帰国してからも、息子たちが保育園〜学童に通っている間は車での送迎が必須で(中には自転車で2人送迎という方もいらっしゃいましたが、それはそれで怖くてできなかった)、さらには、地元でオーケストラの練習に行くにも車を使っていました。

こうしてみると、先日息子2号に言われたように、

お母さん、車が苦手苦手っていうけど、ちゃんと運転してるし、駐車だってちゃんと停めれてるし、大丈夫だよ。たいしたもんだよ。

ということなのかもしれません。過去の経験を膨らませて苦手感を醸成していたり、それに対してきちんと対処してできるようにするという姿勢じゃなくて、嫌だから・怖いから避けるという姿勢で常にいたために、さらに恐れと不安が増殖しているのだな、と。こうした中で、車にまつわる何かが、自分一人でハンドルしなければならない状況で起きると、「キーっ」となって、「犠牲になってる感」が強く出るのでしょう。

もちろん、こうしてみたところで、夫や息子たちに比べれば、客観的にみて運転の技量は低いのは明らかですが、だから嫌!となるのではなく、もう少しちゃんと仕組みを理解するように努めて練習して向上させる余地はありそうに思いますし、何しろここ25年ほどはペーパードライバーでもなくちゃんと運転してなんとかなってきたわけで、もう少しこの実績を認めて恐れや不安は解放してやりたいな、と思ったことでした。

そして、この話を思い出したのは、久しぶりに一人で運転する機会が巡ってきて、

あ、給油しておいて欲しいって言い忘れてた!また給油ランプついてたらどうしよう〜

と、車に乗る前から思ったからなのですが、乗ってみたらまだ半分以上ガソリンが入っていて杞憂だったのでした。よくよく考えれば、別に給油自体ができないわけじゃなし、すればいいんですよね。