天職の舞台裏

天職と思って日々仕事をしてますが、その舞台裏で色々考えていること、あるいは水面下でジタバタしてることを書いています。

電話につけたラベリング

グッドバイブス試行中です。

goodvibes.work

で、日々の生活の中、我ながら笑えるくらい色々なことを勝手に解釈して「意味づけ」してるな、と。

何度かこのブログでも書いているのですが、私は非常に電話が苦手です。電話がかかってくると緊張しますし、電話をかけなければならない事態に追い込まれる(!)と、それを考えるだけで憂鬱です。相手が誰だろうとあまり関係がなく、なんとか電話でなくてテキスト(メールやメッセージ)で済ますことができないか考えます。そういうツールを持っていない相手とか(ガラケーの人など)、テキストベースのツールが使えるのに使わない相手(わざわざ電話をかけてくる)には憤りを覚えることすらあります。

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家の固定電話の呼び出し音が鳴るのすら嫌で、呼び出し音が鳴らない留守番電話設定にしていた(メッセージも残せないタイプ。着信拒否に近いですね)こともあります。(何のための固定電話という気がしますが、各種の申込書や登録で使っているだけなので、掛かってくるのはほぼ売り込みの電話であって支障がない、とは思います。)

このため、電話を巡って、この電話をかけて、こう言ったら相手はこう思うのではないか、こういう反応が来るのではないか、だったらそもそも電話をかけるんじゃなくてこれをこちらでやってしまえば済むのではないか、など、一本電話をかければすぐに済む話に対してぐるぐる長い間推測やら解釈やら判断やらを重ねて時間をかけていたりします。なかなか止まらない。なんとか電話をかけずに済む方法を考え出して、「これでいい」と安心したいわけです。

電話がかかってきたときには、瞬時にそれをやらなくてはならないので余計嫌な訳で(だったら考えずに出ればいいのに!)、着信しているスマホの画面を睨んでしばらく考えたり、表示された相手の名前を見て居留守を決め込んだり、「ただいま電話に出られません」を選択したり(相手がテキストメッセージを受けられない固定電話だとまたここで腹を立てたりする)することもあったりします。

と、書いているとかなり馬鹿馬鹿しいのですが、その場その場の本人にしてみると真剣で、ひどく認知資源を消費しています。電話に出てみないと・電話をかけてみないと、本当のことは何もわからない、自分にわかっていることは一つもない、にも関わらず。

おそらくは、過去、テキストベースのやりとりができなかった時代(手紙しかなかった・・・)、即興性が要求される電話で何かやらかした(それで怒られた)のだと思います。すると、次に電話に対応する局面では「失敗しないようにしよう」となりますから、さらに緊張が高まって、成功しようが失敗しようがどっと疲れます。この繰り返しで、電話自体が嫌いになっていく、と。

自分で「電話というものは、うまくいかないものであり、できるだけ回避すべき」という色をつけてきたんだな、と思います。

この色づけ・ラベリングをしてから長いので、電話!となった瞬間にそちらに引っ張られそうになるのですが、「出てみないとわからない・かけてみないとわからない」を合言葉に、少しずつ意味づけを解放しようとトライしています。

最近では、見覚えのない固定電話からの着信があり、一瞬シカトしようとし、しかしその地域が母の住む地方であったため、何かあったのではないかと想像を逞しくし、さらに10秒睨んでから出る、ということがありました。なんのことはない、ただの間違い電話でした。。。

また、別のケースで、生命保険会社の担当の方からの電話があり、またこの方が押しが強いので話していて疲れるという理由から苦手なのですが(またここでも色をつけているわけですね)、無視したくなるのをなだめて出てみたところ、これも何か先方の勘違いで、こちらからの連絡に対する返信のつもりだったとのことでした(行き違いばかりですみません、と言われたところに、私からはかけていないと言うと、間違いでした、と切られました)。

要するに、出てみないと分からない、ということだな、と。

この先もぼつぼつですが、意味づけ・色づけ・ラベリングをリリースしていこうと思います。