天職の舞台裏

天職と思って日々仕事をしてますが、その舞台裏で色々考えていること、あるいは水面下でジタバタしてることを書いています。

回復の実感

そんなわけで、ひたすらコロナに倒れていた1週間ほどだったわけですが。

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体調不良の時って、どん底の調子の間はひたすら回復に努めるしかないので、寝倒すし、食べられるものを食べるし、運動なんてしている場合じゃないし、記録も諦めて放置します。本とか読めないし、スマホも見るの辛いので、最低限の連絡手段に使うくらい。

が、どん底期を脱すると、回復期というか病み上がり期に入りまして、徐々に普通の活動ができるようになってきます。最初に戻すのは、記録かな?どん底期だと不思議なことにどれだけ横になっていても背中が痛くなったりしないんですが、回復期に入ると、あまり長時間寝ていると背中や腰が痛くなってきます。それもあって、横になっている時間が減ってきます。

食べられるのであれば贅沢言わずに食べていたものも、普通の食事に戻したくなってきまして、料理をしたりもするようになります。まあまだ体調が戻ってないので、この段階でガッツリ普通のものは食べられないことも多い(病状による。鼻や喉風邪くらいなら割と食べられるけど胃腸炎とかだと当然無理)んですが。

今回は、結構食欲が落ちまして、寝ている間ほとんど食べておらず(食べたくもならなず)、ようやく熱が下がった頃にレトルトのお粥を食べてお腹いっぱい、って感じでした。回復期になってからもちょっと食べたらお腹壊れたりして、消化器系弱っている感じでした。

運動まではいかないにしても、生活ルーティンはそれなりに戻していけるようになります。料理もそうですし、洗濯も復活(余談ですが、どうやら私はかなり頻繁に洗濯をしたい人のようで、晴れでも雨でも毎日洗濯して交換したい。なのでお休みするとどうも落ち着かない)。

ということで、ウォーキング以外の朝のルーティン(起床・検温・体重計測・昨日の記録の振り返り・日記・ゴミ出し・洗濯・朝食)を戻してみるわけですが、大して動いてないという自覚なのに、ここまでやるとぐったりしてしまい、始業前に一旦横にならないと保たない。案外普段の生活って体力が要るんだな、そしてそこまで体力落ちてるんだな、という気づきが得られたのでした。

結局、朝のルーティンを回して普通に疲労感が残らないようになったのって、ウォーキングも再開できるようになってから、1週間丸々経過してから、って感じでした。案外ウォーキングってふらついたりしないんですね、という別の気づきもあったりして(実は大して体力要らない説)。

こうした病み上がり期の間って、こんなふうにちょっと生活習慣を戻すとふらついたりぐったりしたり(倦怠感)するので、このままずっとこんな感じで完全に元には戻らないんじゃないだろうか?という恐怖に駆られたりします。しませんか?私、必ずそういう気分になるんですよね。病み上りって。何度もそう思って、でもそこからちゃんと回復してくる経験を重ねているにも関わらず。

若い頃、今よりもっと虚弱で、それを脱するための生活習慣とか運動習慣がよくわかっておらず、そのせいで常に不調感があったり、不調になると長引いたりして、体力に自信がちっとも持てなかったトラウマなのかな、と思ったりします。

で、今回、「あ、回復した。もう大丈夫」と思ったのは、仕事して、ちゃんと頭が回って対応ができ、その後も「どっと疲れた」にならなかった、という感触でした。どこかでこの瞬間がやってきます。今回もやってきてくれて心底良かったです。

仕事って、自分の稼働率が3割くらいでもそれなりにできることって色々あります。なんなら1割程度でも、何か聞いてその場で判断して指示を出すくらいだったらできたりします。でも、しっかり考えて適切な意思決定をするとか、さらにその先まで自分で手を動かしてアウトプットを作るまでやるのは3割や5割の稼働率では無理です。

リソースが足らない〜とブーたれていた時期は、逆に、リソースを使いすぎて稼働率が7割くらいまで落ちていた感じでしょうか。ちゃんと満体力で、運動していて頭がクリアに回る状況で初めてフルアウトプットができるんだよねぇ、としみじみしたのでした。

なんとか、体力的には戻しましたので、このあとは運動量的に戻してクリアな意思決定に万全を期したいと思います。なにしろ6月です。