新年度が始まり、地元オケの定期演奏会も新シリーズになりました。
昨年度はコロナで中止になったり払い戻しになって再購入になったり演奏者も指揮者も大きく変更になったり(何しろ海外勢が来日できないので)、大変でした。
新年度の定期会員券の発売の頃にはちょうど感染はかなりおさまっていたこともあり、通常通り発売(ただし曜日変更はできないように変更されてた)。応援の意味も込めて、どれだけ行けるかわからないけど購入しました。
そして第1回が始まる前から第2回(5月)の指揮者・ソリストの変更のお知らせが舞い込み(やっぱり来日できない系で)、残念感が漂っているのですが、ともあれ4月の定期演奏会は無事に行われました。
そして、メインプログラムが標題のショスタコーヴィチの交響曲11番「1905年」だったのですね。
私は多分この曲を少なくとも生演奏で聴いたのは初めて。そして、この曲は本当にコンサートホールで生で聴くのがいいな、とつくづく思いました。とても微かな調べから始まるし、随所にそういうところがあって、家にサウンドシステムとかないし、私が持っている程度のヘッドフォンでは楽しむのは難しそう。
そして3楽章のヴィオラが素晴らしい〜。葬送の歌らしいのですが、とてもヴィオラらしい響きがよくあっていたと思います。これはやっぱりチェロじゃなくてヴィオラだよねぇうんうん(ひいき)とか思って聴いておりました。帰ってからSpotifyで聴き直したのですが、ここもあまりしっかり聞こえてこない。会場ではとても豊かなメロディーだと思ったのに、微かすぎて聞き取りにくいので驚きです。
また機会があれば生で聴きたいなぁと思う曲でございました。
さて、それはさておき、今回の演奏は、最近読んだ「音楽の仕組みと科学」に書かれていたことを思い出しつつ聴くこともでき、これまでとはまた違った楽しみ方ができました。特にまとまり(ゲシュタルト)によるメロディの形成、音脈分凝(おんみゃくぶんぎょう)について聞き取りを試みたり考えたり。
色々な楽器が分担して全体でメロディと伴奏や装飾を受け持つというところがオーケストラの楽しみの1つだと思いますが、こうした楽しみは人間の知覚の仕組みに支えられているんだな、とか思うとすごく面白い。