先週のまとめで言及しましたが、先週末は母校の大学祭に行ってきました。
外語大からTUFSへ
私の母校(大学)は、東京外国語大学で、当時は学部が外国語学部の1つしかなく、語学ごとの学科がある形でした。なので、学科と言わずに語科と言ってました。そして当時の大学の略称は外語大または外大。まだ大阪にも大阪外国語大学があったのに(笑)。
在学していたのは80年代の半ばでしたが、当時は国立大学が法人化されるとか、キャンパスを郊外に移転するとかが言われ出した頃で、在学中にすでにキャンパスの移転は決まっていたような記憶があります。
当時のキャンパスは北区の西ヶ原で、最寄の駅は都電荒川線の西ヶ原4丁目の電停、学生は山手線の巣鴨駅や京浜東北線の王子駅から15分ほどかけて歩いて通っていました。急ぐときは都電に乗るけれど(これは大塚駅で山手線に接続)、普段はお金がないから!という感じで。巣鴨駅から大学の間には染井霊園があり、その真ん中を突っ切るので、夜1人では歩きたくないと思ったりもしましたが、あまりじめっとした感じのない霊園だったので大半の学生は気にしていなかったような。
私は1年次は親戚の家に間借りして埼玉から通っていましたが、様子がわかって2年生からは先輩が引っ越すという下宿を譲ってもらって大学の近くのアパートに移りました。4.5畳、半畳のキッチン(上り口)とトイレ(和式)がついてました。自転車も持っていて、近くの商店街に買い物に行ったり、大学にも自転車で行ったり歩いたり。徒歩10分程度のところだったと思います。
丘陵地の中に立っていた西ヶ原キャンパスは、敷地面積も狭い上に建物の入り口が2階だったり1階だったり3階だったりして連結されている、たいそう複雑な作りでした。サークル棟は地下のような1階に降りたところに立ってました。
当時から、大学の英文名称はTokyo University of Foreign Studiesだったのですが(語科のTシャツに使われていたので記憶にある)、あまりこの略称とかは使われておらず、もっぱら外語とか外語生とか言われておりました。
その後、東京を離れて地元に戻ったせいもあり、母校に行く機会にあまり恵まれなかったのですが、上記に引用した大学の沿革によれば、2000年に現在の府中キャンパスに移転したようです。
そして現在は、大学の略称?愛称?として、英語名の略称TUFSがあちこちで用いられており、上記のモニュメント(キャンパスの入り口にある)は、「たふもにゅ」と呼ばれているようでした(別世界的な印象)。
語劇と各国料理店が中心の外語祭
さて、大学祭は各大学で催されていると思いますが、外語大の大学祭は伝統的に「外語祭」と称されており、コロナ禍で100回目を経過して今年は102回だそうでした。
大学のサイトにある外語祭の沿革によれば、戦争や学園紛争で休止したりしているものの、専攻語による劇(語劇)と専攻語の国・地域の料理を出す料理店が中心の催しであることは長い歴史があるようです。
伝統的に、各語科の1年生が料理店を出し、2年生は語劇をやることになっていて、1年生・2年生は準備にも相当時間がかかり(特にいわゆるマイナー言語ほど大変です。料理を出すにも材料が、みたいなところがあり)、大忙しだったと思います。3年生はサークルの方で模擬店を出したり展示をしたり、4年生になると積極参加はなくて、冷やかしにやってくるという構図だったような。
在学当時は、11月23日の勤労感謝の日を含む1週間が外語祭ウィークで、まるまる1週間は授業はお休みで、ひたすら外語祭でした。他の大学祭にほとんど行ったことがなく、事情をよく知らなかったので、大学祭というのはそういうものだと思っていて、息子たちの大学祭が週末2日で終わりと言われて衝撃を受けた覚えがあります(そんな簡単なものか?みたいな)。
現在は少し減って5日間の開催になっているようですが、それでも他に比べれば長いのかもしれません。講堂で上演される語劇のプログラムの数に左右されるような気もします。全ての専攻語が1時間弱の上演をしますので、それなりの期間が必要になりそう。在学当時は、オーケストラの上演も講堂でやっていた気がしますし、語劇以外の上演もあったように思います。
また、料理店は、在学当時は、教室を使っており、中に食べる席も用意してのレストラン形式だったのですが、府中キャンパスでは屋台形式(上に引用した外語祭の歴史サイトの写真に雰囲気が出ています)になっていて、円形広場を囲むように立っている渡り廊下的なところを使って提供しています。
変わるもの・変わらないもの
今回初めて移転後のキャンパスを訪ねました。2000年に移転したらしいので、行ってみよう行ってみようと思いながら20年余です。きっかけがないと、そして、おそらく一緒に行ってくれる人がいないとまた挫折しそうなので、大学時代の同級生(オケ活動の仲間たち)と同行してきました。
府中キャンパスは、中央線の武蔵境駅から出ている西武多摩川線の多磨駅が最寄りで、なんと東京都下なのに単線でびっくりだったのですが、もっとびっくりなのは、土曜日祝日とはいえ大勢の人出がありそれも皆外語祭を目指して歩いているということで!マイナーだマイナーだという自己認識のある身としては非常に驚きました。
そして、料理店の前にできる大行列!あれこれ食べ歩くなんてとんでもない感じで、4人で手分けしてなんとか持ち寄って色々なものを食べました。よ、よかった。
初めて訪れるキャンパスは、もちろん馴染みがあるものは一つもないわけですし、料理店の提供態様も変わっています。語劇が上演されるホールは相変わらず小ぶりだけど小綺麗な建物で、お客様感が強い。語劇につきものの字幕は、当時は当然紙で、めくり手が舞台袖に控えていたのですが、今はデジタルですからいい感じに切り替わってくれます。あ、今回は、時間がちょうどよかったウルドゥー語劇を見ました。当然何もわからないけど、雰囲気と字幕での内容で楽しみました。
講義・研究棟では色々な研究会やサークルが出し物をしており、これもずいぶん多様になったなという印象です。当時は社交ダンスしかなかったダンス系サークルが増えてるし(笑)。
とはいえ、1年生が料理店を出し、2年生が語劇を頑張る、という構図は全く変わっておらず、これが外語祭だよね、というコアのところは引き継がれているんだな、と感慨を持ちました。
大変楽しかったので、また行ってもいいな、と思いましたが、数年に1回でいいかも、という気もあり、いや、まだ足腰大丈夫なのか数年後で?という気もしつつ、新幹線で戻りました。
あ、最後に、研究棟を冷やかしていて行き当たった、アイリッシュ音楽研究会「たふける」の屋内公演が大変楽しかったです!